湯木博恵の現役時代が凄すぎる!全英4連覇の伝説と新沼謙治との馴れ初め徹底解剖
近年の日本バドミントン界は、奥原希望選手や山口茜選手、さらには数々の女子ダブルスペアが世界の頂点を争う黄金期を迎えています。しかし、その強さの源流をたどると、必ず一人の女性アスリートの名前に行き着きます。それが、湯木博恵(ゆき・ひろえ)さんです。
1948年11月15日に広島県で生まれ、岡山県で育った湯木さんは、日本女子体育大学在学中から頭角を現し、卒業後は名門・河崎ラケット工業に所属しました。当時、まだバドミントンがオリンピックの正式種目になる前(1972年ミュンヘン五輪では公開競技として実施され、湯木さんは銅メダルを獲得)、事実上の「世界選手権」として最高権威を誇っていたのが全英オープン(All England Open Badminton Championships)でした。
湯木さんが世界の度肝を抜いたのは、大学在学中の1969年(昭和44年)、弱冠20歳で挑んだ全英オープン女子シングルスでの初優勝です。その後、1974年、1975年、1977年にも同大会の女子シングルスを制覇(1976年は不参加のため、出場大会としては驚異の4連覇、大会記録としては1974年からの3連覇を含む通算4勝)という金字塔を打ち立てました。全英オープンの女子シングルスで4度の優勝を飾った日本人選手は、長いバドミントン史において湯木博恵さんただ一人です。
| 年次 | 大会名・主な出来事 | 記録・歴史的意義 |
|---|---|---|
| 1969年 | 全英オープン(女子シングルス)/ユーバー杯 | 20歳で全英初優勝。国別対抗戦ユーバー杯でも日本の連覇に貢献 |
| 1970年〜1974年 | 全日本総合バドミントン選手権大会 | 女子シングルスで無敵の大会5連覇を達成 |
| 1972年 | ミュンヘンオリンピック(公開競技) | 女子シングルスで銅メダル獲得、ユーバー杯3連覇達成 |
| 1974年・1975年 | 全英オープン(女子シングルス) | 2年連続優勝(世界女王としての地位を不動のものに) |
| 1977年 | 全英オープン/第1回世界選手権 | 全英通算4度目の制覇。第1回世界選手権でも銅メダル |
| 1978年 | ユーバー杯(女子国別対抗戦) | エースとして日本を再び世界一へ導く(通算4度の優勝貢献) |
| 2002年 | 世界バドミントン連盟(BWF)殿堂入り | 日本人選手として史上初となる世界バドミントン殿堂入り |
スポーツジャーナリストの楊順行氏ら専門家の分析でも指摘されている通り、1960年代から70年代の日本女子バドミントンは、湯木さんや高木紀子さん、竹中悦子さんといった黄金世代の活躍によって世界を席巻していました。特に女子国別対抗戦であるユーバー杯(Uber Cup)では、1966年、1969年、1972年の3連覇、さらに1978年の優勝と、湯木さんは常に日本の絶対的エースとしてコートに立ち続けました。そのしなやかなフットワークと、相手をコートの四隅に追い詰める正確無比なストロークは、海外メディアから「コート上のバレリーナ」と称賛されたほどです。