御巣鷹山墜落事故の時系列を徹底解説!福田博航空機関士の32分間の闘いと現在
事故当時46歳だった福田博航空機関士は、日本航空において豊富な経験を積んだベテランの飛行技術者でした。総飛行時間は9,831時間30分(うちボーイング747型機では約3,846時間)に達しており、大型機の複雑なシステムを熟知した専門家として社内でも厚い信頼を寄せられていました。
当時、大型旅客機である日航ジャンボ機(ボーイング747クラシック)の運航は、機長・副操縦士の2名に加え、計器盤や燃料配分、空調、油圧、電気システムを一手に管理するフライトエンジニアが同乗する「3人乗務体制」が標準でした。操縦桿を握るパイロットに対し、機関士は「機体の命脈」である各種システムを常時監視し、異常時には緊急チェックリスト(QRH)を迅速にめくってトラブルシューティングを行う重要な役割を担っていました。
123便のコックピットでは、運航乗務員の訓練・審査を兼ねていたため、右席の副操縦士席に機長昇格訓練中だった佐々木祐副操縦士(当時39歳)が座り操縦を担当。左席の機長席には教官役として高濱雅己機長(当時49歳)が座り、指示と無線交信を行っていました。そして2人の後方中央に位置する機関士パネルの前に座っていたのが福田機関士です。この3名の緊密な連携こそが、後に航空工学上「飛行継続不可能」とされた機体を30分以上も飛ばし続ける原動力となりました。